驕れる非コミュとフレーム問題

まとめ
俺は他人とのコミュニケーションが苦手であり積極的ではない。その理由について考察する
自分が人間関係においてコミュニケーションが下手である主な要因として次の理由が考えられる
論理的な思考を主に用いる事に寄るフレーム問題の発生
論理パズルや数学などの正解の定義をコミュニケーションに持ち込む事
自分が人間関係に積極的でない理由
苦手だから
自己正当化の屁理屈

自分が人間関係においてコミュニケーションが下手である理由

論理的な思考を主に用いる事に寄るフレーム問題の発生
フレーム問題とは人工知能が現実世界で何かしようとした時に全ての出来事や動作と結果の関係性を検討する事で無限に演算をしなければいけない状況に陥る事である
フレーム問題 - Wikipedia
コミュニケーションは感覚的に行う場合(友人との雑談)と論理的に行う場合(事務的なやりとりや議論など)あるいはその両方が考えられる
俺の場合感覚的にコミュニケーションを行う能力が論理的にコミュニケーションを行う能力より低い(と自己評価している)
原因は感覚的なコミュニケーションを伸ばさなかったからだろう
そんな俺は感覚的に行うコミュニケーションを前にしても論理的な演算を「使う」。
感覚的な処理系統で扱うべき事項を前にしても論理思考の成功体験と現時点での感覚的処理と論理演算の感覚的な会話の処理成功率を比べて論理演算の方が勝っているからそれを「使う」
別に論理演算のみで全てのコミュニケーションをうまく処理出来るとしたら何の問題もない
しかし論理演算を用いた対処にはフレーム問題という限界が存在する。また演算すべき前提が不確定かつ膨大になってくると論理演算ではどうしようもなくなり論理演算の強化に対する「よりよいコミュニケーション」の投資効率はx:log(x)で下がっていく。
それでもコミュニケーションを感覚的に行わない。感覚的な能力を伸ばす方が効率がよく上限が無く一時的な「コミュニケーションの不成功」を体験してでも長期的には感覚的なコミュニケーション能力を磨く事がプラスになると分かっていても、だ。
完璧なまでにドツボにはまっている。実際にはハマってないけど自らハマってる感じだ。
さらに感覚的なコミュニケーションに論理演算を持ち込んだ時に一緒に持ち込んだのが「正解を求める姿勢」
論理パズル何かだと一つの正解がある。
多分感覚的なコミュニケーションに正解なんて無い
「AさんはDさんがいないタイミングでBさんとCさんがαという前提を知っている状態である事を知っている上でβという発言をしたので今の言葉にはγという意味が込められていてAさんが望みかつ俺が取るべき行動or言動はΩである」
これを論理パズルとして捉えてゴリゴリと論理演算を行って「正解」を導き出そうとする試みに意味はないんだと思う。議論なんかでは有用な前提を論理演算に掛けて正解を導き出すという考え方は日常会話中の前提のファジーさと膨大さに対して何も出来ない。随意筋の動きを逐一イメージする事で歩行しようとするようなもの

そういえば似たような言葉があったなと探してみたらばっちり同じ事を先に書かれていたw

常識や限界を定義すれば、それを覚えたらあなたは敗れるだろう。考えるんじゃない。感じるのだ、友よ。
teruyastarはかく語りき

論理的思考と、

感覚的思考は、

それぐらい情報量とその質が違うと思います。

正確でハッキリしてるのはむしろ論理的思考。

情報量は膨大だけど、ハッキリ言葉に表せない感覚的思考。

凡人が夢を叶えれないというのは、

テキスト情報で、HD動画を再生しようとするから

何十年もかかったり、あきらめたりするのかもしれません。
天才とは結局膨大な経験量のたまものではないか? - teruyastarはかく語りき

ここまで完璧に言い表されていると悔しいぐらいだ


http://www.lingr.com/room/HanaUsagi
驕れるの部分はこちらで